コマネタ帳(旧) by iyoupapa

PCや土いじりやゲームやオモチャ、思いつくまま細切れネタを書き散らかす日記

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[雑記]屠るということ

世界屠畜紀行
世界屠畜紀行
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内澤 旬子
解放出版社 (2007/01)
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子供のころの思い出話で申し訳ない。

30年以上前であるけど、そのころは今ほど食品についていろいろうるさい時代じゃなかったと思う。特に俺の実家は酪農で、食べることは重要だった。働かなければ食べられなかったし、食べねば働けなかった。酪農家であるから乳牛はいたが、それ以外の家畜、家禽はいなかった。母は野菜を作り、山のように漬物を作り冬を越していた。そんな生活であったから、たとえ乳用牛であっても死んでしまったら食べることがあった。病気や薬の状態でほとんどは食用に向かないが、少なくとも一度は目の前で牛を屠り、肉にして食べた覚えがある。

今にして思えば、かなり貴重な経験である。当時でも「これ、大丈夫なのかな」という漠然とした衛生上、法律上の懸念は感じていたが、それにしても生業としていなければ見ることすらできない牛の解体現場であった。

メスの乳用牛は800Kg位かと思うが、さすがに一家族では屠るにしても食するにしても大きすぎる。親戚も手伝い、肉を分けていた。皆で切り分けながら、「ここがヒレ」「ここがハラミ」等と言いながら作業するのである。そうやって肉を相手にしていると思わねば、なかなか精神的にしんどいからだろうなと感じていた。

お陰で、今スーパーで切り刻まれてパックに入った肉を見て、牛や豚、鶏たちを見出すことができる。そんなことは知らなくても良さそうだが、他の命を喰らっている意識があると、ちょっとは生き方が変わる、かも知れない。

残念なことは、衛生上の問題から日本では屠畜の現場を見ることができないことである。子供に自分が何を食べているのか、教える場所がないのだから。仕方がないので、子供を動物園や水族館に連れて行ったときは、食べられる生物については「あれうまそうだな」とかコメントするようにしている。嫁は嫌がるし、普通の反応だと思うけど、命を食べていることを少しは判って欲しいのだ。

屠るということを知らないと、命を軽んじるようになる…というわけではないが、家畜なりペットなりで死を感じたことの有無って、人の根底に差が有るような気がする。母が癌で亡くなったときも、死を受け入れることができたのは死を感じていたからだと思っている。

好き嫌いしてる場合じゃないぞ、肉でも魚でも野菜でも、そこには命があったんだから。その命を食べて、背負って生きていかないといけないんだから。

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